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原 慶太郎 教授インタビュー
原慶太郎教授Photo 原 慶太郎 教授
東京情報大学 総合情報学部 学部長 環境情報学科所属
<主な研究テーマ>
植物生態学、植生学をベースにしたGISおよびリモートセンシングによる自然環境保全についての調査研究
Q 原先生のご研究の内容とリモートセンシングとの接点について教えてください。
Q 私は生態学が専門で、東北大学で学位を取りました。1988年に東京情報大学に来て、当初の植物生態学の研究から、広域的な研究テーマにシフトしようと思っていた頃に、大学でリモートセンシング画像解析ソフトウエアが導入されました。
私も興味があり、ソフトウエアの講習を受けるなどしてリモートセンシングを修得しました。それまでは森林の中で地べたを這いつくばって植物を調べていましたが、Landsat TM画像を見てみると、千葉県全体のランドスケープを把握することができ、さらに、その経年変化も分かり、「これは使える」と思いました。
その後、地理情報システム(GIS)も導入しましたが、当時はまだ国内で景観生態学の分野にランドスケープスケールでリモートセンシングやGISを適用している人がいなかったので、パイオニアとして道を開拓してきたと思いますし、そういう位置づけで研究ができたことは幸せでした。
また、2000年~2004年にかけて文部省(当時)の私立大学を対象した学術フロンティアというプロジェクトが始まり、本学のMODISの受信データを利用したアジアの環境と情報を考える研究がスタートしました。現在、これらの研究の成果を利用した、リモートセンシングによって得られた環境情報のデータベースを東京情報大学のホームページにて公開しています。

Q 生態学の研究分野におけるリモートセンシングとGISの認識度(利用度)について教えてください。
Q 私たちの分野では、普通には一つの林の中で詳細な調査をするような仕事ですから、 高分解能データが必要になります。 近年、高分解能画像やSARあるいは航空機のライダーのようなデータが手に入るようになったので、 いわゆる景観生態学だけではなく、生態学のテーマとしてもやれることが出てきて、ようやく広まりだしたと思います。
しかし、リモートセンシングやGISなどの技術に対して、 「リモートセンシングはなんでもできる」みたいな過分な期待もあり、 また一方で、リモートセンシングをやっている人には工学の専門の人が多く、 解析結果の内容が、実際の分野が求めていることと多少違っているなどの問題があります。 そこを埋め合せ、繋ぐ人がいないとなかなか広がらないと思います。
一方、GISについては、若手のユーザの間ではGIS無くして生態学はできないという認識があります。 つまり、生態学は空間的な地所を扱うため、 「どこに」、「何が」と言うようなことを調べるような研究ですから、GISは不可欠になります。 若い人達は高いソフトは買わずに、インターネット上で公開されているフリーソフト (例えば「みんなでGIS」や「GRASS」など)の利用や、 あるいは、プログラミングができる人は自分でプログラミングして使っている人も多いようです。
衛星リモートセンシングは、今のところ多くはバックデータとしての利用になりますが、 そこからさらに新しいデータや情報が得られる可能性があり、まさにこれから利用が加速すると思われます。 現状では、空間分解能が高くなると同時に時間分解能(観測頻度)は低くなりますが、 もし、MODIS並みの観測頻度とQuickBird並みの空間分解能があって、 それが安く提供されれば生態学でももっと使えるのではないでしょうか。

Q 昨年生物多様性条約国会議(COP10)が名古屋で開催されましたが、 今後海洋生物の多様性保全に向けてどのようなリモートセンシング技術の活用が期待されているのでしょうか?
Q 昨年(2010年)10月に名古屋で開催された生物多様性条約国会議(COP10)で採択された愛知ターゲットでは、 生物多様性の保全に向けた20の個別目標が設定されました。 これらの個別目標の一つとして、2020年迄に陸域で17%、海域で10%のProtected Area(保護地域)を設定することが決まりました。 この目標に向けて、これからどう取り組むかが課題であると認識しています。
環境省でも、COP10に間に合わせるために委員会を設置し、「生物多様性の総合評価」に関するとりまとめを行いました。 結果は2010年度の環境白書で発表されていますが、 「生物多様性総合評価」を実施する上で、取りあえずの指標とも言える大枠を作りました。 ここでキーワードとなるのが、生態系サービスという言葉です。 わかりやすくいえば、人間が生態系(エコシステム)から享受する様々のサービスのことを指し示します。 例えば、水田という生態系は、我々人間の食料である米を供給してくれるサービス機能を持っていますが、 同時に稲を育てる過程で水を蓄え、さらには水質を浄化するという機能をも兼ね備えています。 これらの機能は人間が稲作を続けることではじめて保持されますが、放棄すれば失われてしまいます。 COP10での議論のポイント一つは、生物の多様性を保全することこそが、 健全で持続可能な生態系サービスの保全につながるということだったと思います。
この点を踏まえて話を本題に戻しますが、 リモートセンシングの強みとして広域を瞬時にモニタリングできるという特性があります。 さらに最近ではデータが蓄積されることで、 過去30数年前にさかのぼってランドスケープの変化を時系列で見ることができるようになってきました。 リモートセンシングで、生物そのものを観測することはまだまだ限界がありますが、 生物の多様性を支える生態系の状況の変化をランドスケープスケールで捉えることは今の技術でも十分可能かと思います。 海洋生態系に関して言えば、特に沿岸域は陸域における人間活動の影響がすぐに表れる場所かと思います。 例えば、沖縄の珊瑚礁が赤土で被害を受けたとことなどは一つの事例でしょうし、 千葉の沿岸域でいちばん多様性が高いとされる干潟も、 今では残念ながら三番瀬と小櫃川河口の盤洲干潟以外は全部なくなってしまいました。 これらの変化は、リモートセンシングデータを使っても十分捉えることが可能です。 今後はリモートセンシングデータやGISを活用した生態系サービスの定量的評価が進むと思いますし、 保護地域を設定する際にはそのような情報が不可欠になってくるでしょう。

Q 生物多様性の保全に関する草の根的な活動について教えてください。
Q 千葉県佐倉市にある自然公園計画地において景観整備等に関する市民のワークショップのお手伝いをしています。 そこの里山は市が5年前に購入したもので、 放棄田だった所を復田しようとしたかったのですが、 農地法などの問題があり、ヨシなどの植物を根ごと抜き取り、水面を出した田んぼ池(ビオトープ)にしました。 ここには以前は生息していたカエル類が大きく減少していたのですが、 昔の田んぼの状態に戻すことで絶滅危惧種のニホンアカガエルやトウキョウダルマガエル (いわゆるトノサマガエル)などが増えてきて、それを食べる猛禽類(ワシタカ類)のサシバも戻ってきました。 サシバは4,5月に南方の地域から日本に戻ってきて産卵しますが、そこの環境が良ければ巣を作ります。 つまり、近くの水田が、水面が出ていてカエルなど餌となる生物がいることが分かる状態なら良いのですが、 草が鬱蒼と生い茂るような環境では駄目なのですね。 この場所でも、サシバは一度いなくなってしまったのですが、 このような市民のワークショップ活動をすることで本当に戻ってきました。 これは素晴らしいことです。
20世紀には経済発展を重視してきたために、失われた生き物はたくさんいます。 身近な例で言えば、ホタルやメダカはどこにいても珍しくなかったものですが、 今の子供はホタルの歌を聞いてもホタルがわからない、 メダカの学校の歌を聞いてもメダカを見たことないという、文化の消失という問題が起こっています。 21世紀はホタルやメダカなどを戻す時代にしないといけないと思います。 里山がいい状態になれば、カエルやメダカやホタルなどの生き物が戻ってきます。 それを実現することは我々がやるべきことであると感じています。 なぜなら我々の世代は、昭和30年代の良い状態の里山の状況を知っていて、それをイメージできるからです。 知らない人には、写真や本で見ただけではイメージすることが難しく、 イメージできないものは実現はさらに難しいと思うからです。
生物はカマキリにしてもサケ(鮭)にしても生殖したら死んでしまうものです。 ところが、哺乳類であるヒト(人間)は、子供を産んでからの方が長い、 それは、子育てを通して社会のいろんなことを伝え、そして文化を伝えるためだと思います。 里山の昔のイメージを持っている人達が、それを伝える役目を果たさなければならないのですね。 これは単に昔の状態に戻すということではなく、21世紀に合った形を作り上げるということです。 今、30年前の農業が出来るわけではありませんが、 例えばいま佐倉市で活動している谷津では、一部だけは今までのように田んぼを造り稲作をし、 ほかのところは田んぼ池を維持することでいいと思います。 そして、そういう環境を造りあげることで生き物が戻ってくるようにするわけです。
我々のリモートセンシングやGISを用いた景観生態学の研究も、 最終的にはそこに住む人間のアメニティ向上につながり、 良好になった里山を散歩することで皆の心が和んだり癒されたりするような空間を造りたいですね。
(インタビュー日: 2011年2月14日)